うちの子の場合④ PICU、GCU、小児病棟

うちの子の場合

こんにちは!ぺろみです。

1日遅れの更新です・・・

運動会に行ってきました

と言ってもいつも通っている発達支援センターのイベント(なので室内)です!

今まで子供の運動会というものに無縁な我が家でしたので、はりきってお弁当作って持って行きました!!

運動会は、うちの子が一生懸命踊ったり、障害物競走をおじいちゃん達としたり、シャッターチャンスの嵐でした。3000000000000枚は写真撮ったと思います。

思えばここに来た時はまだやっと経管栄養から脱して、流動食が安定してきた頃だったんですよね。まだ歩けなかったのでバギーに乗せて通ったっけ。成長したなあ・・・

 

今日は前回に引き続きうちの子が生まれた後の話です。

暗いので苦手な方は回避してくださいね!!


前回、お腹にいるときに赤ちゃんの水頭症を指摘された私達夫婦でしたが、出産後にお顔の特徴からクルーゾン病では?という話になった、というお話でしたね。パパはひとりで先生から説明を受けて、どうも凹んでいる様子でした・・・


産後1日目にようやくNICUにいるうちの子に会いに行くことができました。

うちの子は体重はそんなに小さく無かったのですが、いちおう?保育器のなかにいました。手術室の印象と変わってたらどうしよう?とも思っていたのですが、やっぱりお目々が大きくてかわいい赤ちゃんでした・・・お世話をしてくれる看護師さんたちもかわいい、かわいいといってくださって、ますます幸せな気持ちになりました。

(この頃の写真、目を閉じて眠れてたし、あまりクローバーリーフ頭蓋が目立たないんですよね。この1ヶ月後の写真は頭の両側がかなり出ているので、水頭症が進んでいたんだと思います)

赤ちゃんのそばにいるときの幸せな気持ちと、病室に戻った時の気持ちの落差がすごかったです。

病室に戻るとやはりスマホでクルーゾン病について調べまくりでした。

個人の方のブログやUP TO DATE、実家から小児の教科書を持ってきてもらって読んだりして、次第にこの病気の概要がつかめてきました。


頭蓋骨が小さいために、水頭症や眼球の突出などのいろいろな症状がでること。

適切な手術を適切な時期に受ければ比較的予後は良いこと。

クルーゾン病自体は知的障害の原因になる可能性は低いこと。


現実感が訪れたのはやはり「手術」の2文字を見た時でした。あんなかわいい、すべすべのお肌にメスを入れるのかあ・・・と思って暗い気持ちになっていました。

また、手術を受ける場所も問題でした。出産した場所は宮崎県でしたが、県内にうちの子の手術ができる病院がありませんでした。

この先進国に、各県に1人ぐらい専門医がいるのでは?と思われるかもしれませんね。

うちの子の様な希少難病の場合、手術できる病院は本当に限られています。症例自体も少ないですし、昨今の医師不足も手伝って専門の病院に集約化するしかないのです。うちの子のような子たち以外にも、心臓に生まれつき病気があるお子さん達も、生まれてすぐ手術を受けるために県境を超えて大病院に転院していく子達は一定数いるのです。


さて、生まれつきの難病の赤ちゃんが生まれて、普通なら絶望している頃だとおもいます。

ただ、このときの私は、NICUに母乳を運んだり、乳腺炎で倒れてみたり、いろいろと忙しくしていたせいで本格的な落ち込みは味合わずに済んでいました。本格的な落ち込みはこの後、急に宮崎県に帰れなくなってから訪れるのですが、それはまた別の機会に書きますね。

うちの子は、経管栄養を併用しながらも順調な体重増加で、PICU→GCU→小児科とすくすく育っていってくれていました。

写真はNICUにいた頃。ミルクの飲ませ方もぎこちないしめっちゃ猫背!!

健気に成長していく赤ちゃんはそれ自体がエネルギーの塊で、横にいるだけで私も元気が出てきました。

パパはというと、外科医として手術や当直をこなしながら、空いている時間には私と赤ちゃんに会いに来てくれていました。ただでさえ激務のなか、出産後にパパだけが受けた説明で、パパはかなり傷ついていたようです。私が能天気に赤ちゃんと過ごすなか、すこしすれ違いが生まれていました。

そんな中、小児科の先生から病状の説明があり、話し合いの中で、パパの実家の近くであり、頭蓋骨早期癒合の分野で有名な先生のいる栃木県の病院で手術を受けることが決まりました。

この時は栃木県で手術を受けて、落ち着いたら宮崎県に戻る予定だったのですが・・・

次回は転院のときのいろいろを書こうとおもいます!

それでは〜〜

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